28歳独身♀、いろいろ行き詰まったので一度立ち止まり振り返る

2013年4月から一度も開いていなかったmixiを何となく開いた。

2013年1月に、某アプリで出会った男性とデートに行った記録が残っていた。

思い返せば、小学生時代の私は、男友達の方が多くていっちょ前に恋もしていたリア充だった。中学生で女友達間での恋(笑)のいざこざがあまりに面倒で恋愛に興味が失せ、高校でもそれを引きずり&部活のチームメイトが恋バナに夢中になるのを見ながら(恋愛に興味がない自分はおかしいのか?)と不安になり、大学は女子大でそもそもの出会いが少ない&たまにする合コンも性欲の化物みたいな男ばかりで気持ち悪くて(恋愛はいいや)となり、社会人になると周りには50歳オーバーのおじさんおばさんしかいない。

気付けば中学1年生~社会人までの約10年間、人生で一番キラキラした純度の高い恋愛ができる時期を喪女として過ごしていた。

それでも私は、何も不自由していなかったし、喪女の自分を辛く思った事もなかった。県外の大学を卒業して無事実家に帰り、就きたかった仕事に就けて、毎日が充実していた。

変わったのは親だった。私の親は、同じ地元同士で結婚も早く、24歳で私を産んでいた。そんな両親からすると、彼氏いない歴=年齢の私は変わった生き物に映るらしい。社会人1年目、23歳の頃は仕事に慣れるので精一杯だったので、親も応援してくれたが、翌年から雲行きが怪しくなる。

24歳になったある日、高校時代の友達から結婚報告が届いた。高校時代から付き合っていた彼との結婚で、私の友人の中では一番早かった。そこまで仲がいい子でもなかったが、部活のチームメイトという括りで私も招待状を受け取った。

人生初の結婚式は、県内でも有名なチャペル。「すご~い!きれ~!」「私もこんなところで式挙げたいな~!」とはしゃぐ友達に合わせて愛想笑いを浮かべながら(ドレス脱ぎたい…普段スニーカーだからヒールがしんどい…)以外の感想が持てなかった。この経験があるので、以降は、自らご祝儀を払ってでも出たい友達の式以外はそれとなく理由をつけて断るようにしている。

式が終わり家に帰ると、母親がイキイキした顔で「どうだった!?」と聞いてきた。「よかったよ」と答えると「あんたの式も楽しみだね」と笑った。その時、初めて結婚が自分にとって身近なものになった。

この日以降だったか、母親からの結婚プレッシャーが凄さを増した。「仕事終わり、どこか出かけたりしないの?」「休みの日くらい街の方に出かけたら?」「クリスマスは一緒に過ごす人いないの?」あまりの変わり方に怖くなった。私が一番頑張っている仕事ではなく恋愛に期待を寄せる母親と一緒にいるのが段々しんどくなった。その一方で(母親の期待に応えなければ。早く結婚して親孝行しなければ)と思う自分が出てきた。

しかし、喪女歴24年の自分は、何をどうすれば彼氏ができるのかがわからない。婚活パーティーも考えたが、過去に一度も彼氏がいたことのない人間が恋愛をすっ飛ばして婚活に手を出すのも違う気がしたし、夜開催が多い婚活パーティーに出るには親に行き先を伝えなくてはならないのも恥ずかしかった。悩んでいると、仕事の情報収集で使用していた某SNSで、恋活アプリの存在を知った。これなら、親に気付かれる事なく出会える。即行で登録した。そのアプリで出会ったのが、冒頭の男性だ。

その男性は隣県の3歳年上。写真は草食系っぽい雰囲気だったが、メッセージでやりとりする段階から「とにかく彼女がほしい!早く結婚したい!」というオーラが伝わってくるタイプだった。この時の私も(親を安心させるために早く彼氏をつくらなくては)という使命感に襲われていたため、会う前から(あわよくば旦那に…)という妄想もしていた。

mixiの記録によると、デート内容は、10:00駅集合→相手の車でドライブ→ショッピングモールのフードコートで談笑→ラウンドワンのスポッチャで遊ぶ→ファミレスで昼食→15:00お別れ…というプランだったらしい。私は楽しく喋れるのなら吉○家でもマ○ドナ○ドでもいい人間だしスポーツも好きなので、プラン自体はとても良かったと思う。

24歳、人生初デート後の私は、こんな記録を残している。

・男性が運転する車の助手席に乗るのがこんなに緊張すると思わなかった
・奢ってもらう女の気持ちがわかったが、割り勘の方が正直気楽
・男性を立たせるのが面倒くさい
・「俺、彼女は親や職場の人に紹介したい派なんだよね」「車運転するの好きなんだけど、助手席に誰か乗ってないと寂しくて」「次はこっちに来てくれる?飲みにいこう」と初対面なのに彼氏ヅラでグイグイこられたのが怖かった
・いい人だったけどこの人とはキスはできないと思った、キスできない人は彼氏とは違うと思った 

今日この日記を読んで、今と価値観が全く変わっていない事に衝撃を受けた。人間、根本的な部分は本当に変わらないんだなとビックリしている。

当時の私は、その初デートで一切成果が出なかったにも関わらず「男性とデートした経験を持つ自分」に酔い、その後26歳になるまで何もしなかった。25歳の間も母親からの「いい人いないの?」攻撃は続いていたが(いや、本気出せば彼氏できるし)と何の根拠もない自信に満ち溢れていた。

26歳になると、今度は職場の女上司からも「いい人いないの?」攻撃がはじまった。どうして私の周りの女性はこれほどおせっかいなのだろうか。おせっかいはいい方向に働けば相手の人生を変えるほどプラスの力を持つが、悪い方に働けば相手を極限まで追い込むマイナスの力を持つ事になると私はこの時学んだ。

話を戻すが、これまで家で母親のプレッシャーを受けていた私にとって、大好きな仕事に熱中できる職場がオアシスだった。ところが、職場でもプレッシャーを受けるようになり、完全に行き場を失ってしまった。実家と職場、どちらかを変えなければヤバい。壊れる。

私は実家をでる決心をした。約2年に渡り、結婚プレッシャーを与え続けてきた母親を、それまでは大好きだった母親を、このままでは嫌いになってしまう。それは絶対に嫌だ。一旦離れようと思った事も大きかった。両親には「実家にいると家事も料理も親任せにしてしまう。大学時代も寮生活だったし、一度は一人暮らしをしたい。自分の事は自分でできるようにしておきたい」と話すと、あっさり了承された。

こうして、2014年4月から、人生初のひとり暮らしがはじまった。

6畳1K、オートロック、ユニットバス、2口コンロで共益費込み40,000円弱。いわゆる「お街」のど真ん中。いい物件が見つかった。

一人暮らしは天国だった。残業で帰りが遅くなっても親に気を遣わなくていい。休日はゲーム漬けで一歩も外に出なくても何も言われない。堂々とBL漫画を出しっぱなしにできる。自分以外にいないから、掃除をしっかりするようになる。苦手な料理の腕もかなり上がった。

そして、母親との関係が非常に良好になった。久々に会うと、料理の話題で盛り上がる。「あれ知ってる?」「ああ聞いた聞いた!」と友達のように話せる。母親も気付くところがあったのか、結婚の話をされる事も減った。物理的に離れてみて、近すぎるのが駄目だったんだとよくわかった。

一方、一人暮らしをしていると人恋しくなる。実家では家族がいたが、一人暮らしだと自分しかいない。ここでようやく(彼氏、欲しいかも)と思えるようになった。周囲の圧力ではなく、自分の意志で彼氏がほしいと思えたことは大きかった。

せっかくお街に住んでいるのだから、アプリでの出会いではなく、行きつけのバー的な店を開拓してそこで自然に出会いたいと思い、情報収集をはじめた。すると、出会いを求めて集まるバーがあった。足を運ぶと、そのバーのママの人柄があまりに良かったので一発で気に入った。今も月2回は通っている。

バーでは月1回、婚活パーティーもやっていたので、私も度々参加した。そのパーティーがきっかけで、2016年2月、人生初の彼氏ができた。今度は、初デートで勘違いしたのとは全く別、自分の力で彼氏という存在をゲットした。自分のような女にも彼氏ができるんだと、本当に大きい自信になった。

相手は、4歳年下で、高校生と間違えそうなほど童顔の可愛らしい男性だった。草食系っぽい見た目とは裏腹に、テキパキ物事を決め引っ張っていってくれる肉食系の男性だった。驚く事に、向こうも一度も女性と付き合った事がなく、自分で童貞だと言っていた。こちらも処女なので(初めては痛いらしいから自分でほぐしとかないとな…)と思った。

付き合いはじめて1ヶ月半。すでに自分の中で雲行きが怪しくなってきた。付き合うことになった日はあんなに幸せで女性ホルモンが体中から吹き出るような高揚感だったのに、すでに2週間に1回のデートがしんどい状態になっていた。相手が自分にはもったいない彼氏だと思っていた私は、相手にふさわしい自分でいなきゃ!と勝手に自分を追い込み、相手が好きそうな服装をしなきゃ!と普段見向きもしないワンピースやロングスカートをはいていた。今思い返せば、しんどくなって当然である。

とどめは、2016年4月に起こった熊本地震だった。1人で死にたくないと思った。無性に誰かと一緒にいたくなった。生まれて初めて、人生28年目にしてようやくと言っていいのか、心の底から今すぐ結婚したい!!!と思った。

しかし、彼は旦那とは違うと思った。理由はない。直感だった。キスもセックスも多分できるし生理的にも一切嫌じゃない。ただ旦那にするなら彼ではないと思った。彼の子どもを産む自分が想像できなかったのが一番大きかった。

そして、2016年5月に彼氏と別れた。悩んでいるのと同時期に、相手から「初めての彼女だから、本当は週1回くらい会いたかった。でもあなたの仕事が忙しいのも理解している。だからお互い、彼氏彼女の関係ではなく、友達同士に戻りませんか?」というLINEが来た。最後の最後まで、本当に私にはもったいない彼氏だった。別れて以降、一度もバーでは会っていないが、次会った時も自然に挨拶できる程度にはいい別れ方だったと思う。

あれから1年弱、2017年7月。現在もフリーを貫いている私は、今年の誕生日で29歳になる。

そして来年度、恐らく転職する事になる。まだ10月まで確定ではないが、大卒から大好きで続けてきた仕事を、本年度いっぱいで辞めることになるだろう。仕事という生きがいを失われた私は、どうなるのだろう。どうしたいのだろう。

これまで「普通」というレールの上を歩く事が私の基準だった。本当は自分で人生のレールを作らなければならないのに、私はそれを他人任せにしてサボってきた。しかしそれでは、自分の走りたい方向に迎えないと、ようやく気付いた。

私はこれから、どうしたいのだろう。どう生きたいのだろう。

一刻も早く結婚して専業主婦として家庭に入りたいのか?旦那と共働きで家をつくり支えていきたいのか?そもそも結婚願望自体あるのか?夢中になれる仕事があれば結婚できなくてもいいのか?お互い夢中になれる仕事があってでもいざという時には支え合えるパートナーのような関係を望むのか?それとも両親みたいにラブラブな夫婦でいたいのか?子どもは産みたいのか?産みたくないのか?

…よくよく考えれば、私は自分で自分の分析が全くできていないなぁと気付いた。

この1~2年、20代最後の年。これまで猪突猛進で走ってきたけど、いったん停止して冷静に自分と向き合ってみようと思う。今の気持ちを忘れないように、ここに残しておきたい。